
最先端医療「人工内耳」を進化させるICの開発に挑む
身体に障がいのある人の生活をサポートし、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上にも役立つ人工臓器。なかでも「最も進んだ人工臓器」ともいわれる人工内耳は、体内に埋め込んで使われるため、そこに搭載されるIC(集積回路)(※1)には、高い精度と信頼性が求められます。医療機器をはじめ、自動車、産業機器、コンシューマー製品などさまざまな電子機器に搭載される、特定用途向けIC(ASIC)(※2)専業メーカーであるICsense社による、IC開発の裏側をご紹介します。
(映像:Newsflare)

聴覚障がい者の生活を支える「人工内耳」とは?
人工内耳は、健常者の内耳(蝸牛)の機能をまねて設計されています。電子部品の小型化や高性能化により、その性能は飛躍的に進化しています。人工内耳は、内耳の中にある損傷を受けた有毛細胞の代わりとなって、補聴器よりもクリアな音を届けることができます。
人工内耳システムは2つのパーツから構成されています。ひとつは外部サウンドプロセッサで、2つのマイクを搭載し、周囲の音を電気信号に変換して内耳に届けます。もうひとつは手術によって皮下に設置されるインプラントで、サウンドプロセッサから送られた電気信号を、蝸牛に挿入された電極アレイを通じて聴神経に送ります。人工内耳は多くの聴覚障がい者にとって、日常生活を送るためになくてはならない機器となっています。
人工内耳の仕組み

(画像提供:コクレア社)
1. サウンドプロセッサの複数のマイクが音を拾い、デジタル情報に変換します。
2. コイルを通じて、皮下のインプラントに情報が伝達されます。
3. インプラントは、蝸牛に挿入された電極に電気信号を送ります。
4. 蝸牛にある聴覚神経線維が信号を拾い、脳へ伝えることで、音の感覚がもたらされます。

(画像提供:コクレア社)
コクレア社のインプラント(左)とサウンドプロセッサ(右)
人工内耳のリーディングカンパニー・コクレア社がICsenseを選んだ理由
世界で初めて人工内耳の商用化に成功し、長年にわたってその高性能化に取り組んできたのがオーストラリアに本社を置くコクレア社です。1981年の創業以来、60万個以上のインプラント機器を提供し、世界180カ国以上で様々な年齢層の人びとの聴こえを改善してきました。コクレア社は10年以上前から人工内耳に搭載される主要な部品のサプライヤーとして、TDKグループのカスタムIC開発メーカーであるICsenseを選び、ASICの設計と開発を行ってきました。
「私たちがICsenseを選んだのは、技術力はもちろん、インプラント型医療機器の設計で豊富な経験を持っていること、そして何より、オープンに共同開発を進められるからです」。ICsenseとの協業について、コクレア社ゼネラルマネージャーのカール・ファン・ヒンベック氏は語ります。「これによって、私たちは多くのやり取りを重ね、性能を高めるための方法を共に模索することができました」。
コクレア社の人工内耳インプラントには、電源管理や聴神経につながる電極に送られるプログラマブルなアナログ信号を生成する回路、さらに聴神経からのμV(マイクロボルト)単位の微弱な反応を測定(神経反応テレメトリ)するための部品に、ICsenseのASICが搭載されています。
ICsenseのシニア事業開発マネージャーのイエロン・ファン・ハム氏は、アナログとデジタルの架け橋となる、ミックスドシグナルIC(※3)の設計においてICsenseの強みがあると語ります。「低ノイズ、低消費電力、小型化などの要素は、バッテリーで駆動する高性能デバイスにとって最も重要なもの。アナログとデジタル領域を結ぶ回路の開発は、私たちが15年以上力を注いできた分野です。私たちのような規模と能力で、アナログとデジタル、高電圧の回路を設計できる企業は、世界的に見てもそう多くはありません」。
カスタマーのニーズに合わせて設計・開発されるIC「ASIC」とは?
ICsenseは、医療用機器の開発における品質マネジメントシステムの国際規格であるISO13485(※4)の認証を取得しています。ファン・ハム氏は、コクレア社との協業体制について振り返ります。「最先端の医療機器開発を成功させるには、カスタマーとの緊密な連携が重要です。信頼性の高い機器の設計と検証、安全性のレビュー、報告書作成の時間などを考えると、開発の全体ではとても長い時間がかかります。その中でコクレア社との協業体制は、ベンダーとカスタマーという関係をはるかに越えたものです」。
カスタマーのニーズに合わせて製品の価値を最大化するプロセスを、ICsenseでは「テーラード」な開発と呼んでいます。コクレア社をはじめとする医療分野だけでなく、自動車、産業機器、コンシューマー製品など、カスタマーが変化しても、オーダーメードのスーツを仕立てるように、独自のIC開発を行っています。
ASIC開発のプロセス

今後の展望についてもファン・ハム氏は熱く語ります。「50年以上前、人工内耳の開発がはじまり、今では多くの聴覚障がい者が音のある世界を手に入れました。同じように、将来、視力を失った人が再び光を取り戻せる日が来ると信じています。これまでとは違った挑戦になりますが、研究はすでに始まっているといえるでしょう」。
社会のさまざまな課題を解決する高性能IC開発に挑むICsense。わずか数センチ角の小さなチップが、私たちの未来を大きく変える可能性を秘めています。
これまでICsenseが手掛けてきたASICの事例や技術の詳細など、さらに詳しい情報は、ICsenseのWebサイトをご覧ください。
用語解説
- IC:Integrated Circuit(集積回路)。トランジスタやダイオード、抵抗、コンデンサなどの複数の回路素子をひとつのチップ上に集積した回路。
- ASIC:Application Specific integrated circuit(特定用途向け集積回路)。特定の用途のために機能を組み合わせたICの総称。
- ミックスドシグナルIC:アナログとデジタルの信号処理をひとつのチップで行う半導体回路。
- ISO 13485:医療機器に対し、世界的に認知された品質マネジメントシステムの国際規格。ISO9001よりも徹底的に文書化された品質システムの構築やリスクマネジメントの実施により、医療機器の品質、信頼性、および安全性確保のための基盤となる。