AIの消費電力を100分の1へ。脳型AIデバイス「ニューロモルフィックデバイス」
人間の脳の神経細胞ネットワークを電子部品や電子回路によって模倣して構成されるコンピューティングを「ニューロモルフィック」と言います。ニューロモルフィックは、従来のコンピューティングでは難しかった大幅な低消費電力化を実現できる次世代コンピューティングです。TDKはコア技術であるスピントロニクスを応用して、ニューロモルフィックデバイスの基本素子となる「スピンメモリスタ」を開発しました。これを応用して、現在のAIで使われる消費電力を100分の1以下に低減できる「ニューロモルフィックデバイス」の実現に取り組んでいます。
生成AIの爆発的な普及により世界的な電力不足へ
米OpenAIの対話型AI「ChatGPT」が2022年に一般公開されて以降、幅広い業界で世界中の企業が生成AIの活用を進めており、急速な勢いで普及しています。データセンターや半導体などの関連産業も活況を呈しており、巨大な生成AI需要が生まれています。また、生成AIの普及により、現在の主流であるクラウド上でAI処理を行う「クラウドAI」に加えて、ユーザーの端末側でAI処理を行う「エッジAI」の発展も進むと予想されており、市場がさらに広がっていくと言われています。従来の「クラウドAI」ではAI処理に加えて通信の電力が必要になります。「エッジAI」によってセンサ信号をその場で情報に変換することができれば、AIの社会インフラという視点での電力削減も可能となります。
このように目覚ましい勢いで普及が進む生成AIですが、需要が増えれば増えるほど課題となっているのが、電力消費量の増大です。このままAI活用が進むと、世界の電力消費量が爆発的に増大してしまうと予想されています。例えば、IEA(国際エネルギー機関)が発表した電力レポートによると、2022年にはデータセンター、AI等の消費電力量が世界全体で約460TWh(テラワットアワー)だったのに対し、2026年にはその倍以上の約1,000TWhに達する可能性があるとしています。この数値は、GDP(国民総生産)第3位の日本全体の総消費電力量に匹敵する数字と言われており、緊迫な社会課題と言えます。そのため、AI活用に伴う低消費電力化が社会全体で強く求められています。
コンピュータを根本的に変えるニューロモルフィックデバイスの技術課題
AI処理における低消費電力化を実現するためには、半導体の性能向上限界など※1により、コンピュータの仕組みから根本的に変える革新的な技術が必要となります。現在のコンピュータは、プログラムを含むデータを記憶装置に格納して実行する「ノイマン型※2」が主流です。しかし、ノイマン型は、データの記憶部と演算部が分かれているため、データをやり取りする際に電力を多く消費してしまうという構造的な課題がありました。そこで、非ノイマン型の次世代コンピュータとして脚光を浴びているのが、人の脳の神経回路の電気的振る舞いを電子回路(集積回路)で模倣した「ニューロモルフィック(脳型)」です。
人間の脳は、およそ20Wで動作が可能であり、現在使われているデジタルAI処理のおよそ1万分の1の電力で、より複雑な判断を行うことができると言われています。ニューロモルフィックでは、人間の脳のように演算部の中に記憶素子が結合されデータのやり取りがないため、ノイマン型に比べ大幅なデータ処理の高速化と低消費電力化が実現可能です。そのため、あらゆる機器や端末におけるAI処理への応用が期待されています。
人間の脳のニューロン(神経細胞)とシナプス(ニューロンのつながり)を電気的に模倣したものが、「ニューロモルフィックデバイス」と呼ばれ、現在世界中の企業や研究機関で開発が進められています。しかし、ニューロモルフィックデバイスは素子となるメモリスタ※3に大きな技術課題がありました。従来のメモリスタは、応答性能が複雑で大変使いにくく、また、プログラミングした抵抗値が時間経過とともに変化するなどといった課題があり、実現へ向けてボトルネックとなっていたのです。
スピントロニクス技術を応用展開して「スピンメモリスタ」を開発
そこでTDKが開発したのが、磁性技術を活用した電子素子「スピンメモリスタ」です。主力製品であるHDD用磁気ヘッドやTMRセンサなどを生み出したTDKのコア技術であるスピントロニクス※4を応用展開することで、従来の課題を解決。応答性能がシンプルで使いやすく、抵抗値が時間経過とともに変化しない、低消費電力で高速応答を可能にするメモリスタを実現しました。
(写真:TDKが開発したスピンメモリスタを搭載したセラミックパッケージ)
スピンメモリスタは、ニューロモルフィックデバイスの基本素子として機能することを、フランスの原子力・代替エネルギー庁(Commissariat à l'énergie atomique et aux énergies alternatives:CEA)の協力を得て実証しています。
今後は実用化に向けて東北大学の国際集積エレクトロニクス研究開発センターと連携し、消費電力を100分の1に低減できるニューロモルフィックデバイスの実用化を目指しています。スピンメモリスタを開発したTDKの技術・知財本部の佐々木智生(スピントロニクス研究開発室長)と柴田竜雄(ニューロモルフィック開発リーダー)らは、今後の展望についてこう語ります。「スピンメモリスタは、実用化に向けた開発ステージにプロジェクトを移行しています。実用化においては半導体製造工程とスピントロニクス製造工程の融合が必要となり、東北大学と共同で融合技術開発を推進します。私たちは低消費電力化と共に、リアルタイムの学習が可能で使用環境や人にあわせて変化することができる新たなAIデバイスの実現を目指します」。
TDKは、ニューロモルフィックデバイスの開発を進め、拡大するAIの消費電力を低減して、より便利で快適なDX社会に貢献します。
スピンメモリスタを搭載したセラミックパッケージを4つ搭載したAI回路基板です。これによって、AI回路においてスピンメモリスタが基本素子として機能することを実証しました。
用語解説
- 半導体の性能向上限界:「半導体回路の集積率は18ヶ月(または24ヶ月)で2倍になる」というムーアの法則が限界を迎えているという説が近年高まりを見せている。
- ノイマン型:コンピュータの基本的な構成法のひとつ。プログラムをデータとして記憶装置に格納し、逐次プログラムを実行する方式。
- メモリスタ:電子部品。素子に流れた電流によって抵抗が変化し、その抵抗値を記憶する受動素子。抵抗・コンデンサ・インダクタに続く第4の受動素子と呼ばれる。
- スピントロニクス:電子が持つ電荷とスピンの両方、あるいはスピンの要素を用いる技術。