
オーロラと磁性
地球の磁性とオーロラ
最終回の第3回では、地球の磁性とオーロラについて考察する。図1に示すように、最近150年の地球の磁気モーメントの測定から、地球の磁性は弱まり続けていることが知られている。このまま弱まり続けると、地球の気候変動や生命活動に、何か悪影響が出るのだろうか。物理的なことは無視して、そのようなことを自由に空想したパニック映画は複数あり、あるいは可能性を仮説として示唆するような研究成果も多く発表されてきた。しかし、本当に悪影響があるのかどうか、確たる証拠については、まだ見つかっていないのが現状である。
オーロラは、地球の磁場を可視化した現象であり、地球の磁場が変化すれば当然オーロラも変化する。人間の寿命よりも長い、地球の磁場の変化は、自然現象を観察し、詳細に書き残すという日本の文化の恩恵を受けて、オーロラを通して垣間見ることができる。代表的な例は、鎌倉時代の歌人、藤原定家の明月記だ。定家43歳、西暦1204年2月21日、京都の夜空に現れた真っ赤なオーロラに驚いた定家は、次のような日記を書き残している。
現代の科学知識を持って、この文章を読めば、これは烈しい低緯度オーロラの詳細な描写であることが明らかだ。この日記が書かれた、翌日も、その翌日も、京都にオーロラが現れた。日本で、しかも北海道ではなく京都で、何日も連続してオーロラが出ているのは、不思議に思われる方が多いのではないだろうか。オーロラは、緯度の高い地域に出るもの、という常識に一見反しているように思えるのだ。
しかし、西暦1200年というのは、歴史上で、地球の磁気モーメントの軸が、最も日本のほうへ傾いていた時代、つまり、日本でオーロラが最も見られやすい時代だった。そんな絶好のオーロラ観測の時代に、これほど詳細なオーロラの記述を800年後の現代まで残すことができた藤原定家という人物が日本にいたことは、奇跡であり、私たちにとって幸運なことである。この藤原定家の目を通して、その日記を大切に保存してきた日本の文化のおかげで、私たちは、地球の磁気モーメントの軸の数百年のゆらぎについて、具体的に思い浮かべることが出来るのだ。
西暦1770年9月17日、日本は江戸時代、京都の空の半分を覆う、巨大なオーロラが現れた。図2のように、真っ赤な扇を空全体に広げたような絵図も残されている。この宇宙現象は、本当に特別なものであり、当時の人々の度肝を抜いた。その天変地異への混乱は、日本全国で記録的な数、数十以上の古典籍にオーロラの記述が残されていることからも想像できる。特別、と言った物理的な根拠には幾つかあるが、第一に、地球の磁場の軸は、あまり今と変わらず日本と逆サイドに傾いていたため、藤原定家の時代とは違い、日本はオーロラ観測に不利な時代なのである。第二に、最近250年間は、地球の磁場が数割ほど弱くなってきており、当時は地球の磁気バリアがそれだけ強いため、かなり強い磁気嵐を引き起こしたところで、緯度の低い地域にオーロラを出現させるのは難しい。
よく調べていくと、磁気緯度24度の地域(京都)でも空の半分を覆うオーロラが出現するような異常事態には「前例」があった。これはキャリントン・イベントと呼ばれている、西暦1859年9月2日の夜のこと。そのような扇形で空の半分を覆うオーロラがメキシコ湾で現れたという記録が残っていたのだ。これで、第一の混乱は和らげられた。磁気緯度24度でも、真上にオーロラが現れることは、確かにあるようだ。しかし、第二の謎については、前例がない。1859年よりも、1770年のほうが地球の磁性は強いのである。これはつまり、キャリントン・イベントよりも1割ほど強い磁気嵐も、ありえる、ということを意味していると考えられる。
キャリントン・イベントのときには、高電圧ネットワークは地球に存在していなかった。今、この巨大磁気嵐が起こってしまうと、世界中の主要都市で停電が発生する恐れがあるため、パニック映画さながらの被害が予想されている。その巨大磁気嵐に匹敵する、あるいはさらに大きな磁気嵐が100年間に2度も起こっていたことが、過去の記録からわかってきたのである。キャリントン・イベントから既に150年が経過しており、いつ次のキャリントン・イベントが起こっても不思議はない。この、いつか必ず起こる宇宙災害への対策は、まだ不十分である。
過去の地球の磁性に学び、オーロラに学ぶことは、近い未来の豊かな生活には必須のことである。地球と似た星が次々と宇宙で見つかる現代、億年単位での宇宙と地球と生命のつながりを知るうえでも、地球の磁性とオーロラは、謎にあふれた魅力的な宇宙現象でありつづけるだろう。
国立極地研究所 准教授
片岡 龍峰
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オーロラの仕組み
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