創立70周年スペシャル
TDKオーケストラコンサート2005
2001年より、世界の著名オーケストラの日本公演に協賛しているTDKオーケストラコンサート。2005年は、TDK創立70周年を飾るにふさわしく、世界が注目する指揮者"サー"・サイモン・ラトル氏が率いる世界最高峰の「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」の公演に協賛しました。アジアツアーの最後として来日し、11月20日、21日のわずか2公演でしたが、まさに王者の貫禄たっぷりの聞きごたえのある公演でした。
11月20日の本公演前に行われた「公開リハーサル」には、小学生から社会人まで音楽を学んでいる方々をご招待し、指揮者とオーケストラが楽曲を仕上げていく様子を鑑賞いただきました。
TDKでは、2006年以降も世界的なオーケストラの日本公演への協賛を継続していく予定です。
公開リハーサル
11月20日(日)、NHKホールでの本公演に先立って行われた「公開リハーサル」に、小学生から社会人まで、音楽を勉強されている方200名を抽選でご招待しました。ハガキ・FAX・インターネットからの応募総数は過去最高の5,000通を超え、ベルリン・フィル人気の高さが伺えました。
リハーサルは本公演の全ての曲目のポイントとなる部分が演奏され、ラトル氏が英語で指示する姿に、熱心にメモをとる観客の姿も。楽団員はみな正装で、その素晴らしい音色はまるで本公演のような雰囲気でした。
「公開リハーサル」を鑑賞された方の感想(会場でのアンケートより)
「はじめてオーケストラを見て、とても感動しました。私は吹奏楽部なのですが、今後の活動に役に立つなぁと思いました。本当にありがとうございました。」(10代、女性)
「世界的なプロの演奏を久々に聴きました。フルメニューでなく、少々残念でしたが、団員の方々のコミュニケーションや、リラックスした練習模様など、充実した時間をすごすことができました。私もアマオケでクラリネットを演奏しており、今後の精進のはげみとなりました。ありがとうございました。」(20代、男性)
「初めて生のベルリン・フィルが聞けて本当に幸せ。一言一言が感情を刺激し、柔らかい音色、pp等々素晴らしかったし、木管パートがお互いにやり合っている様が面白かった。今日は本当にありがとうございました!!」(40代、女性)
「生まれて初めてベルリン・フィルのライブの音を聴きました。すごい衝撃でした。感動しました。人間って可能性がいっぱいあるんですね。とても勉強になりました。」(10代、男性)
「リハ開始前は本番前の調整とは違い、各奏者がいろんな音場空間のチェックをしているのが印象的でした。ラトルの指示のあとの変化も、曲間の入れ替え時、各奏者がどんなことをするのかも非常に興味深かったです。楽器間のコミュニケーションは演奏中でもそれ以外も常に取っていると思いました。またメンバーのリラックスムードが裏のBPOを垣間見た気がしました。本日は本当に貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。」(30代、男性)
アウトリーチミニコンサート
2005年11月21日、ベルリン・フィルハーモニー・ブラス・クインテット(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の金管楽器奏者5名)が東京都中央区日本橋中学校を訪問しました。まず全日本マーチングフェスティバルで3年連続金賞受賞の実績を誇る吹奏楽部のマーチング演奏がグラウンドで行われ、ベルリン・フィルメンバーからは盛んに拍手が送られました。その後体育館にてベルリン・フィルメンバーによる素晴らしい演奏が披露され、最後に同中吹奏楽部の中にベルリン・フィルメンバーが加わって交流演奏が行われました。「音が本当にきれいだった。」「友達みたいに接してくれて嬉しかった」と子供たちは大感激の様子。当日の模様は、NHKの全国ニュースなど、マスコミで取り上げられました。
公演概要
名称 | 創立70周年スペシャル TDKオーケストラコンサート2005 |
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主催・招聘 | フジテレビジョン |
特別協賛 | TDK株式会社 |
出演 | ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 |
指揮 | サー・サイモン・ラトル |
2005年11月20日(日) 午後6時30分開演 NHKホール | ||
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ベルリオーズ | 「海賊」序曲 | |
ラヴェル | バレエ音楽「マ・メール・ロワ」 | |
ベートーヴェン | 交響曲第3番 変ホ長調 Op.55 「英雄」 |
2005年11月21日(月) 午後7時開演 サントリーホール | ||
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ドビュッシー | 牧神の午後への前奏曲 | |
アデス | アサイラ | |
R.シュトラウス | 交響詩「英雄の生涯」Op.40 |
出演者の紹介
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
Photo:
Karsten Schirmer /
Berliner Philharmoniker
1882年5月1日、ベルリン・フィルはベンヤミン・ピルゼのオーケストラから離れた54名に6人のメンバーが加わって発足。当初は常任指揮者をおかず、演奏活動を続けていたが、1887年にハンス・フォン・ビューローが初代常任指揮者に就任し、演奏水準を著しく向上させた。
1895年からは、アルトゥール・ニキシュの時代となる。1922年に死去するまで年にわたり、ニキシュはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督も兼任しながらも、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスをはじめロシア音楽などの多彩なレパートリーの基礎を作り、ヨーロッパ中にベルリン・フィルの名を広めた。第3代常任指揮者となったヴィルヘルム・フルトヴェングラーは当時36歳でありながら、短期間のうちにオーケストラを掌握し精力的な活動を展開。フルトヴェングラーもまた、1928年までゲヴァントハウス管の常任、1930年まではウィーン・フィルの首席指揮者を兼務しながらも、20年間指揮し続けた。そのコンビネーションは、演奏史上でも際立った存在であったが、第2次世界大戦により活動が制約された上、戦後になりフルトヴェングラーが演奏を禁止されたことにより、オーケストラは危機的な状況を迎えることとなった。
1947年にフルトヴェングラーが復帰し、復興へと向かったオーケストラは、いよいよ1955年に初となるアメリカ・ツアーを行うこととなる。しかし、この前年、フルトヴェングラーが死去。アメリカ・ツアーは、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮、1956年終身指揮者兼芸術監督に就任し、以後33年間にわたって、カラヤン/ベルリン・フィルは数多くのレコーディングを通じて、ブランドとしての名声を確立。音楽産業などに大きな影響を与えると共に、西ベルリンという特殊な年において「西側」の文化的地位を誇示する象徴的存在となった。1963年には、本拠地ベルリンに近代的なホール、フィルハーモニーが完成。1967年からは、ザルツブルク・イースター音楽祭に参加、オペラにも進出し、さらにその活動の幅を広げた。カラヤンは、亡くなる直前の1989年4月に辞任。東西ドイツが統一された1990年からは、クラウディオ・アバドが第5代常任指揮者に就任。メンバー自体の若返りをはかるとともに、柔軟性にも磨きがかかる。
2002年秋より、サー・サイモン・ラトルが首席指揮者・芸術監督に就任。2004年秋、サー・サイモン・ラトルとの初コンビで来日公演を果たし、好評を博した。
サー・サイモン・ラトル
Photo:
Peter Adamik /
Berliner Philharmoniker
1955年イギリス・リヴァプール生まれ。
幼少の頃より打楽器とピアノを始め、ロンドンの王立音楽院に入学して指揮と打楽器を学ぶ。1974~77年までボーンマス交響楽団とボーンマス・シンフォニエッタの副指揮者、その後は、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン・フィル、ロンドン・シンフォニエッタなど、主にイギリスのオーケストラとの仕事を重ねる。1979年にロサンゼルス・フィルを振ってアメリカデビュー。1981~94年まで、ロサンゼルス・フィルの首席客演指揮者を務めた。
1980年からバーミンガム市交響楽団(CBSO)の首席指揮者に任命され、1990年9月~98年夏までは同楽団の音楽監督に就いた。一貫して芸術的に興味深いプロジェクトと数多くの録音を続けたことにより、CBSOは、国際的なオーケストラへと成長、同オーケストラと世界各地へのツアーも行う。1994年、音楽界への多大なる貢献を称えられ爵位を授与され、以来サー・サイモン・ラトルと呼ばれる。1998年、CBSOはザルツブルク音楽祭に客演し、ベートーヴェンの全交響曲を演奏した。また、CBSOと並んで、アメリカとヨーロッパを代表するオーケストラを指揮している。なかでもボストン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団およびウィーン・フィルとは長年にわたり共演を重ねている。
ベルリン・フィルとは、首席指揮者に就任する以前から、15年にわたり共演。1987年11月、マーラー「交響曲第6番」を振り初登場。以来、定期的に指揮台に立ち、2002年9月までに75回のコンサートで、バッハ、バルトーク、ベートーヴェン、ベルリオーズ、ブーレーズ、ブラームス、ドビュッシー、ガーシュイン、ハイドン、ヤナーチェク、リスト、マーラー、メシアン、プーランク、ラフマニノフ、ラヴェル、ストラヴィンスキー、そしてシマノフスキなどをはじめ様々な作曲家たちの作品を演奏している。
2002年9月から、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者および芸術監督を務める。2004年秋、ベルリン・フィルとの来日公演を行い、高い評価を得る。