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TDKオーケストラコンサート2004

TDKオーケストラコンサート2004

TDKは、2001年より世界の著名オーケストラの日本公演に協賛しています。
2004年は、クラッシック音楽の聖地ウィーンにおいて最も多い演奏会を行い、文字通りウィーンの顔としての役割を担っているオーケストラ「ウィーン交響楽団」を迎え、11月2日と3日の2公演に協賛しました。新進気鋭の首席客演指揮者ヤコフ・クライツベルクのもと、ベートーヴェン、ブラームスを中心としたプログラムに加え、ウィーンと縁のある実力派ソリスト、ルドルフ・ブッフビンダーとリディア・バイチも参加し、まさしくウィーン一色に染まった公演となりました。11月3日には今年も「Specialリハーサル」と称した公開リハーサルを開催し、小学生から社会人まで音楽を学んでいる方々をご招待し、オーケストラと指揮者による音作りの過程を体験してもらいました。TDKでは、2005年以降も世界的なオーケストラの日本公演への協賛を継続していく予定です。

Specialリハーサル

世界的なオーケストラと指揮者が音楽を創造していく過程を体験してもらう公開リハーサルに小学生から社会人まで、音楽を学んでいる方々をご招待しています。今年も音楽を学んでいる方200名を公募し、今年は特に学生などの若い方を中心に、2,000通を超えるご応募をいただきました。
当日は、リハーサル前に特別に、ウィーン交響楽団総裁であり音楽学者でもあるビショフ氏から、ウィーン交響楽団の設立背景から現在の状況、楽曲に対する思いなどについてお話いただきました。それから、指揮者クライツベルク氏より当日の演奏曲目の解説があり、リハーサルとなりました。楽団員の多くは普段着姿でしたが、限られた時間の中での本番前最後の練習とあって、とても集中したキレのある演奏を聞くことができました。
TDKでは、2005年以降も「Specialリハーサル」を実施していく予定です。

Specialリハーサル
Specialリハーサル
Specialリハーサル

「Specialリハーサル」を鑑賞された方の感想(会場でのアンケートより)

「音楽を完成体に仕上げることへの過程は、なかなか知り得ないことです。どうやって1つの曲が仕上がっていくのかをリハーサルでほんの少しでも知ることができたことで、音楽への姿勢を再考させられました。 」

「オーケストラ設立の歴史的背景等とても興味深いお話が聞けて良かったです。それから指揮者の方の指示で演奏が変わっていく様子や、コンマスの方が中心となって曲の最終調整をしていく様子が見られてとても良かったです。」

「オーケストラを身近に感じられるようなお話、ふだん見ることのできない本番前のメンバーの表情など貴重な体験でした。 」

アウトリーチミニコンサート

2004年11月9日、ウィーン交響楽団の木管楽器奏者5名が、東京都武蔵野市立第三小学校を訪れました。4?6年生の生徒と保護者、約300名の参加者を前に、ウィーン交響楽団のメンバーは、楽器の説明をしながら4曲を披露。最後にメンバーは、東日本学校吹奏楽大会コンクール部門で金賞を受賞する実力を誇る同小吹奏楽団と合奏を行いました。演奏された同小オリジナル曲「ダイナミック武蔵野」は、和太鼓や打楽器も加わり、小学生とは思えないほどとても迫力のある演奏でした。ウィーン交響楽団メンバーは「長い作品を暗譜でこなしていて驚いた。今後も音楽を大切にしてほしい」と話しました。終了後、楽団メンバー5名は皆の握手攻め。音楽を大切にする者同士の温かい交流が生まれました。

第二回 TDKアウトリーチミニコンサート(2004年)
第二回 TDKアウトリーチミニコンサート(2004年)
第二回 TDKアウトリーチミニコンサート(2004年)

本公演

名称 TDK オーケストラ コンサート 2004
招聘元 株式会社 ジャパン・アーツ
特別協賛 TDK株式会社
出演 ウィーン交響楽団
指揮 ヤコフ・クライツベルク
ソリスト ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)、リディア・バイチ(ヴァイオリン)
2004年11月2日(火) 午後7時開演
2004年11月2日(火) 午後7時開演
会場 サントリーホール(東京都港区赤坂1-13-1)
主催 株式会社ジャパン・アーツ
指揮 ヤコフ・クライツベルク
曲目 ベートーヴェン 「コリオラン」序曲、
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
(ピアノ/ルドルフ・ブッフビンダー)、
ブラームス 交響曲第1番
2004年11月3日(水・祝) 午後2時開演
2004年11月3日(水・祝) 午後2時開演
会場 東京オペラシティコンサートホール
(東京都新宿西新宿3-20-2)
主催 株式会社ジャパン・アーツ
指揮 ヤコフ・クライツベルク
曲目 ベートーヴェン 「コリオラン」序曲、
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調
(ヴァイオリン/リディア・バイチ)、
ブラームス 交響曲第1番

出演者の紹介

ウィーン交響楽団

ウィーン交響楽団

19世紀も終わりに近づき、ウィーンに新しいオーケストラを作るだけの機は熟していた。そしてその新しいオーケストラに求められたのは、今まで一般的に演奏されてきたようなプログラムばかりでなく、現代音楽の初演も行なうことでもあった。
1900年10月、ウィーン学友協会ホールにおいて、"ウィーン・コンサート・ソサエティ"と名づけられた新しいオーケストラは、フェルディナンド・ローヴェのもとで最初の演奏会を開いた。このコンサートは、2000年10月22日に素晴らしい再演が行なわれ、2000/2001年の50周年シーズンの中で今でも語り草となっている。
第1次世界大戦の間、多くの楽団員、音楽家が徴兵されていった。オーケストラは、1913年に創設された"ヴィエンナ・トーンクンストラー"と一緒になることで、解散を逃れたものの、1944年には、8ヶ月にわたって完全に活動停止を余儀なくされた。1945年以後のオーケストラの再建にあたっては、当時の主席指揮者、ハンス・スワロフスキーとジョセフ・クリプスに負うものが多い。
そしてこの後に続く指揮者には、ブルーノ・ワルター、リヒャルト・シュトラウス、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、オズヴァルド・カバスタ、ジョージ・セル、ハンス・クナッパーブッシュと言った素晴らしい名前が連なり、彼らは皆、オーケストラに大きな影響を与えた。この中でも主席指揮者を務めたヘルベルト・フォン・カラヤン(1950~1960)とウォルフガング・サバリッシュ(1960~1970)の二人はオーケストラの音色、個性を確立する上で大きな貢献を果たした。その後、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーといった素晴らしい常任指揮者を迎え、さらに短い期間ではあったがジョセフ・クリップスが戻り、そのバトンは受け継がれていったのである。また、客演主席指揮者のタイトルの方をむしろ好んでいたジョルジュ・プレートルも、1991年にラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスがその任に着くまで主席常任指揮者を務めている。なお、1997年からは、ウラデミール・フェドシェーエフがこの席に就いている。客演をした指揮者の中にも、レナート・バーンスタイン、ロリン・マゼール、ズービン・メータ、クラディオ・アバド、セルジュ・チェルビダッケといった輝かしいスターたちが並んでおり、いずれも素晴らしい足跡を残している。また、"非公式な"主席指揮者たちの存在も忘れてはならない。その一人が、いまや伝説的な存在である「ワーカーズ・シンフォニー・コンサーツ」を率いたアントン・フォン・ヴェーベルンであり、もう一人はウィーン交響楽団のチェリストとして音楽家としてのキャリアを歩みだしたニコラス・アーノンクールである。
今日、オーケストラは年間170の演奏会を行なっている。その演奏会の多くはウィーンにある二つの協会、コンツェルトハウスと学友協会によって運営されてきたが、1980年以後、チクルス・コンサートを含めたかなりの数の演奏会がウィーン交響楽団自らによって運営されている。この他にも数々の演奏旅行も行っており、ヨーロッパ内はもとより、アメリカ合衆国、日本を始めとする海外の国々を訪問し、演奏を重ねてきている。1946年からはブレゲンツ音楽祭に"常任オーケストラ"(つまりここではオペラオーケストラ)として参加し、今ではそれも新たな伝統となっている。
伝統と革新を車の両輪に、100年の歴史を経て、ウィーン交響楽団は新たな1000年へと向かっている。今こそ、未来と過去へと向けられたヤヌスの頭を持つことが、交響楽団としての有意性を高めるものだと認識している。

ヤコフ・クライツベルク(首席客演指揮者)

ヤコフ・クライツベルク(首席客演指揮者)

ベルリン・コーミッシェ・オーパー首席指揮者兼芸術総監督 ジュネス・ミュージカル首席指揮者兼芸術監督  ロシア出身の指揮者ヤコフ・クライツベルクは、この10年間に各地のオペラハウスやコンサートホールで素晴らしい国際的な評判を勝ち得てきた。サンクト・ペテルブルク生まれのクライツベルクは、指揮をイリヤ・ムーシンについて勉強し、1976年米国に移るまで続いた。米国ではタングルウッドでバーンスタイン、小澤征爾、ラインスドルフの指揮研究生となり、さらにロスアンジェルス・フィルとはマイケル・ティルソン・トーマスのもとで研究生となった。1985年マネス音楽大学管弦楽団(ニューヨーク)の音楽監督に就任。1988年には、クレーフェルト・メンヒエンブラドバハ・オペラ劇場及びニーダーライン州交響楽団の音楽総監督として6年間の任期をスタートさせた。クライツベルクは、ボーンマス交響楽団の首席指揮者と芸術顧問としてこの5シーズンを成功のうちに終え、その地位から退いたばかりである。1994年からベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督を務め、2000~2001年シーズンまではこの地位にある。また、ジュネス・ミュージカル(世界ユース管弦楽団)の芸術顧問も務めている。オペラハウスで成功を収めたのは、グラインドボーンでの3作品があり、これはイングリッシュ・ナショナル・オペラ、シカゴ・リリック・オペラ、カナダ・オペラでも好評だった。また、客演指揮者としてこれまでに、ベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、フィルハーモニア管、ロンドン・フィル、BBC響、コンセルトヘボウ管、トーンハレ管、パリ管、ウィーン響、チェコ・フィル、オスロ・フィル、フィラデルフィア管、ニューヨーク・フィル、シカゴ響、ボストン響、ロサンゼルス・フィル、ボルティモア響、セント・ルイス響、ミネソタ管など世界の一流オーケストラの指揮台に立っている。

ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)

ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)

ウィーンのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーが著名なピアノ教育家ブルーノ・ザイドルホーファーのマスター・クラスに入門を許可されたのは、まだ彼が11歳の時であった。教育を終えるとブッフビンダーは各地で演奏活動を行い、最初は室内楽奏者として、その後は徐々にソリストとしての地歩を固めていった。コンサートはヨーロッパの主要な音楽中心地ばかりでなく、日本、アメリカにも及んでいる。彼は例年のようにザルツブルク音楽祭や他の音楽祭に招聘され、世界中の代表的オーケストラ、指揮者と共演してきた。ブッフビンダーのレパートリーは非常に広く、その中には多くの20世紀作品も含まれている。さらに彼は幾度となくレパートリー開拓に挑み、その過程で興味深い発見をすることになった。例えばテルデックのために、彼はオーストリアとドイツの50人の異なる作曲家が書いた《ディアベッリ変奏曲》を録音している。ブッフビンダーはまた、ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタ全曲演奏の企画を立て、これはミュンヘン、ウィーン、ハンブルク、チューリヒ、ブエノス・アイレス等、既に多くの都市で実現されている。さらにテルデックへの録音としては、「フランス・ディスク大賞」を受賞したハイドンのクラヴィーア作品全曲録音や、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音がある。

リディア・バイチ(ヴァイオリン)

リディア・バイチ(ヴァイオリン)

ロシア音楽家の家系の血を引く母と、オーストリア人チェリストである父との間にサンクトペテルブルクで生まれた。わずか2歳でどんなメロディをもピアノで再現し、和声づけすることができたという逸話を持つ彼女は、8歳ではじめて国際コンクールで優勝を果たし、それ以降オーストリア国内外の数々のコンクールで次々と第一位に輝いた。
1990年よりウィーン市立音楽院で世界的に有名なヴァイオリン教育者であるポーリス・クシュニルの薫陶を受け、その後はウィーン楽友協会およびコンツェルトハウス、グラーツの楽友協会、ザルツブルクのモーツァルテウム、フランクフルトのアルテ・オーパー、そしてモスクワとサンクトペテルブルクのフィルハーモニーなど、ヨーロッパでも屈指のホールに登場する。これまでに、ウィーン音楽週間にソリストとして出演し、アイゼンシュタットのハイドン音楽祭では指揮者アダム・フィッシャーと共演している。またテミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を、マゼール指揮バイエルン放送交響楽団とサン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソを演奏し、この模様はドイツ国内にテレビ放映された。またロイヤル・コンセルトヘボウ、ワルシャワ・フィルなどと共演している。益々、期待されているヴァイオリニストとして活躍している。
現在、オーストリア国立銀行の厚意により、カルロ・ベルゴンツィ作の1723年製の楽器を所有している。