Diversity
Women
TDKでは、様々なバックグラウンドの社員が、日々挑戦を続けています。
今回は女性社員3名にお話を伺い、彼女らがどのような思いで働いているのか、その素顔に迫りました。
育児休業を経て
「働く」ことの可能性が広がった
星野 晶HOSHINO Sho
入社して9年、現在も入社時に配属された安全環境グループで働いています。
大学は技術系ではなかったので、安全技術や取り扱う物質のことなど必要な勉強も多く、苦労もありましたが、TDKの「受け入れてくれる」風土に育まれました。最初の数年は環境マネジメントに関する業務に従事し、海外への出張も多く、ダイバーシティを肌で感じ、やりがいがありました。
2018年、2019年と子供を出産しましたが、第2子出産後は当面海外出張も難しいだろうと、業務は環境関連の企画部門に変わりました。出産前は出張をして充実していたので、慣れない事務的な仕事と出張に行けないもどかしさで、もう会社に貢献する人材とみられていないのでは、と自分の存在価値がわからなくなってしまっていました。こんな思いを、出産前に出張先でよくお世話になっていた仕事仲間に打ち明けたとき、「あなたは出張に行きたいの?会社に貢献したいの?」と言われ、ハッとしました。それからは企画を実行する立場にはなれなくても、想像してサポートすることはできる、どんな業務も目的は貢献すること、と考え方を変えることができました。
最近はとても嬉しいこともありました。近年、企業の環境情報や目標について社外に公開することを求められています。TDKは環境活動にも真摯に取り組んでいますが、社外へのアピールは控えめだったと思います。TDKの活動を社会に発信することは重要なミッションと考え、査定機関であるNPOへの回答をしっかり行い、その結果最高評価であるA判定で表彰を受けました。会社に貢献できた実感と共に、自分の考えに間違いはなかったと自信を持つことができました。
上司も長期的なヴィジョンで私のキャリアプランを考えてくれます。職場は男女ともに子育て経験のある方が多いことから、仕事と育児の両立への理解が厚く、今まで以上に存在を大きく感じます。苦手な家事も、仕事という別のフィールドを持っていることで良い効果が出ていると思っています。仕事と育児の両立に不安を感じる人も多いと聞きますが、様々な立場の人の意見が働きやすい職場につながっています。また、育成した社員が辞めてしまうことは会社にとっても大きな損失です。いざやってみると、自分のできることを頑張っていればなんとかなる、と伝えたいです。
TDKは
「どこからでもスタートできる」を
叶えてくれる
白木 洋子SHIRAKI Yoko
私の経歴は少々変わっています。大学卒業後「男女関係なく働きたい」と、公務員として成田空港の入国審査官になりました。4年後コスタリカへ留学、南米で出会った夫との結婚を機に帰国したものの、出産、育児で6年間は専業主婦の経験も。育児が落ち着いたころ、語学力を活かせる仕事が当時住んでいた富山県にはなく、メーカーで品質管理の職を得ました。技術系でもない私に業務指導はほとんどない!(笑)でも元来の負けず嫌いの性格から、指導を仰いで品質管理のスキルを身につけました。
40歳を過ぎ、その会社では女性の昇格や職域拡大が難しいことに悩んでいたところ、故郷の秋田でTDKが品質保証での求人をしていることを知りました。チリ人のおおらかな夫も3人の子供も私を応援してくれ、家族で秋田へ。「不安はなかったのか?」と聞かれますが、品質保証の原理原則は同じ、「変化が好き」な性格も幸いし、思い切りました。
入社数年は苦労もしましたが、「新人だから何でも聞ける!」と考え方をシフト、現場で人を捕まえては教わることを繰り返すうちに工場に馴染み、現在はにかほ工場南サイトでドイツのグループ会社に輸出する製造装置の開発・販売に携わっています。人が好き、変化が好きな私に、この仕事は大変魅力的です。子供も成長した今は長期間のドイツ出張もこなせます。手がけた装置の輸出は娘を嫁に出すような気持ちです(笑)。
娘たちの存在も私のエネルギー源です。彼女らにも自分の道を選ぶ時がくる、その時に私を一つのモデルとして提示できれば、と。女性でも、ライフイベントがあっても、「いつでもスタートできる」ことを、身をもって示したいのです。こうした道を歩めたのも、今の上司をはじめ、TDKが私を成果で公平に評価してくれたから。男女関係なく能力を見てくれることは大きなやりがいとなりました。グローバルに事業展開するTDKなら、秋田の地でも海外と仕事ができることも魅力です。夢は自分の可能性をもっと広げること。TDKで得たチャンス、自分がどこまでできるかチャレンジしたいです。
人財交流で日本の常識をくつがえす
正木 ゆかりMASAKI Yukari
社会人デビューは人材コンサル会社。3年間働いたところで、「モノを扱う業界で働いてみたい」「会社の外からではなく、中で人財に貢献したい」と気持ちが変化し、TDKグループ会社のSAE Magnetics(中国)へ転職しました。当時25歳、採用面接で香港本社・中国工場も見学し、海外で働くことにチャレンジしようと思いました。
入社後に任されたのは日本のTDKからSAEに出向する社員のサポートも含めた人事総務業務。当時のSAEは生き馬の目を抜く勢いで、日本からの出向人数も約100人と急激に増えていた一方、出向者へのケアが間に合わない状況でした。SAEは成果に非常に厳しい会社。海外で不慣れな日本人社員もSAEでのビジネスに貢献しようと必死に戦っている…その姿を前に、私には「楽をする」という選択肢は無かったです(笑)。自分のサポートを皆のパフォーマンスにつなげることを強く意識し、メンタルやプライベートの支援も含めてサポート業務に邁進しました。SAEで働いたことで、自分の役割に期待された実績をしっかり出すことへの意識付けも培われました。「正木さんがいてくれてよかった」と言ってもらえるよう、目の前に来た仕事はどんどんやっていこうと必死に頑張りました。任期の後半には現TDK社長の石黒さんも赴任され、今では苦労よりも良い思い出です。
2017年からはいよいよTDKで働くことになりました。現在は日本のTDKから海外グループ企業へ出向する社員の労働条件の管理、海外グループ企業から日本に出向する社員の受け入れ業務の傍ら、グローバル人事戦略のプロジェクトにも参画しています。海外出向関連の規程をグローバルで統一し、グループ間の処遇を公平にすることがミッションです。プロジェクトメンバーは多国籍。巻き込むのは醍醐味ではありますが、文化、慣習、法律、全てが日本とは違う、ディスカッションの論点が噛み合わない、そんなダイバーシティな環境下では「受容」が肝要。そんな風に考えられたのもSAEでグローバルスタンダードに取り組んだ経験があったからだと思います。これからの目標は、日本にもっと海外からの人財を増やしつつ、TDKグローバル全体のクロスボーダー人事異動が可能となる制度を導入し、人財交流で日本の常識をくつがえすきっかけを作る、ということです。