テクノ雑学

第155回 失われた感覚を取り戻す技術

つい先日報じられたのが、大阪大学の研究グループが、失明した人の眼球に電極をつけて、光の動きを追えるところまで視覚を回復させたというニュースです。一度失われた視覚を取り戻せる可能性がある技術ということで、大きなニュースになりましたが、センサを利用して人間の感覚を取り戻す技術はすでに実用化されはじめています。

見える/聞こえるということ

そもそも、人間の感覚とは、どのようにして感じられるものなのでしょうか。感覚といえば、視覚、触覚、味覚などさまざまな種類がありますが、共通するのは、センサにあたる「感覚器官」で受けた刺激が「脳」に伝わっているということです。感覚器官で受けた刺激は、電気信号に変換され、神経を通って脳に伝わります。

 たとえば、視覚であれば、目で受けた光が電気信号に変換されて脳に伝わりますし、聴覚であれば、耳の内耳に伝わった空気の振動が電気信号に変換されて脳に伝わり、画像や音声として認識されるのです。


 視覚を失ったり(失明)、聴覚を失ったり(失聴)するということは、この過程のどこかがうまく機能していないということです。たとえば、

センサの部分が壊れる

センサが受けた刺激をうまく電気信号に変換できなくなる

電気信号を伝える神経が壊れて情報が伝わらなくなる

信号を処理する脳の機能がうまく働いていない

など、さまざまな理由が考えられます。

 このうち、センサ部分が壊れる、刺激を電気信号にうまく変換できない、という理由で失明・失聴している場合は、電気信号による刺激を与えることで、感覚を取り戻すことができる場合もあります。



 

■ すでに実用化されている人工内耳

 この原理を使って聴覚を取り戻す技術は、すでに「人工内耳」という医療器具として、30年以上前から使われています。日本では、1985年から国内でも手術ができるようになり、1994年には健康保険の適用対象となっています。

 音とは、空気の振動ですが、人間の耳で音を感じる時には、空気の振動を内耳にある「蝸牛(かぎゅう)」という器官で電気信号に変換しています。蝸牛とは“かたつむり”のことで、その形から名前が来ています。

 空気の振動は、耳小骨を通じて蝸牛に伝わり、揺らします。蝸牛にはリンパ液が入っており、耳小骨から伝わる振動によって揺れます。その揺れを、感覚細胞がとらえて、電気信号に変えて蝸牛神経に伝えるのです。

 人工内耳では、マイクで集めた音を体外にあるプロセッサ(コンピュータ)で電気信号に変換し、磁石を使って体内に埋め込んだ受信機に送信します。受信機からは、蝸牛に取り付けられた電極に電気信号が伝わり、蝸牛で変換された電気信号と同様に、脳に向かって運ばれます。つまり、何らかの原因で、蝸牛で音を電気信号に変換できなくて失聴している場合には、人工内耳を使って音が聞こえるようになります。


■ 聴覚に比べ、難しい視覚

 同様の原理で、「光の信号」を電気信号に変換して網膜に直接電気刺激を与え、視覚を得ることができます。10年ほど前からヨーロッパやアメリカでは実験が行われてきました。



 電極の配置によって、網膜の上に電極を固定する「網膜上刺激型」と、網膜の下に電極を埋め込む「網膜下刺激型」の2種類の方式に分けられます。前者は長期的に安定するように電極を固定するのが難しく、後者は電極を埋め込む手術そのものが困難であるという問題がありました。

 今回、大阪大学のチームで採用した方法は、網膜に直接ではなく、網膜の外側にある「強膜」にチップをとりつけます。眼球内には電極を配置し、その間に通電することで網膜を刺激します。

 具体的には、額にとりつけたCCDカメラの映像を体外のコンピュータで白黒映像信号に変換し、こめかみに埋め込んだ小型装置に無線で送信します。受信した信号を、強膜に埋め込んだチップに伝達し、眼球内の電極に通電することで、網膜に電気刺激を与えるのです。


 この方式は、網膜に直接電極が触れる方式よりも、安全で簡単に手術ができます。大阪大学のチームでは、2005年と2008年にも短時間の実験を行っていましたが、今回は1ヶ月にわたって、「網膜色素変性症」で失明した2名の女性にチップを取り付け、実験を行いました。

 その結果、2人とも、パソコンの画面の光を指で追えるようになりました。また、そのうち1名は、実験中に網膜が刺激されたことで機能が活性化し、チップをはずしても光を目で追えるようになったということです。今は光を追うことしかできませんが、大阪大学チームでは、次のステップとして「大きな文字を読める」ことを目標に研究を進めています。

 今後高齢化が進み、視覚を失う人も増えてくると予想されます。「失われた視覚を取り戻す」というこの技術は、生活の質を高めるために役立つものとして、大いに期待されます。


著者プロフィール:板垣朝子(イタガキアサコ)
1966年大阪府出身。京都大学理学部卒業。独立系SIベンダーに6年間勤務の後、フリーランス。インターネットを中心としたIT系を専門分野として、執筆・Webプロデュース・コンサルティングなどを手がける
著書/共著書
「WindowsとMacintoshを一緒に使う本」 「HTMLレイアウトスタイル辞典」(ともに秀和システム)
「誰でも成功するインターネット導入法—今から始める企業のためのITソリューション20事例 」(リックテレコム)など

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